夏休み

今年のお盆休みも、コロナが増えてきて実家に帰省はしなかった。

今年の夏休みは、コロナが増えたと言っても例年のお祭りも規模は縮小されど開催されたものが多かった。

去年より、今年が充実していたのはイベントが多かったせいでもある。

 

コロナにより、お祭りなど大切な何かが失われている。

 

お祭りってきっとはじめた時は理由があったのかな。

でも理由なんかなくて、ただただ何かの儀式的に行われていることもあるのだろう。

ただただ、踊る、歌う、集う。それだけで無条件で楽しい。

そこに自分が存在していることを実感する。

それが楽しいのかもしれない。

 

 

外に出す表現の場

読む、話す、書く。

生活していく上で、話すの比重はっとても多い。

読むは、新聞に本に。最近は無作為に、YouTubeなどの動画を見てしまい、娯楽として楽しんでしまう。

記者でも、作家でも、表現者でもない一般人の自分に何か必要だと思ったのが、

この外に表現すること、書くこと。これが圧倒的に足りないのではないかと思った。

しばらく、続けていこうと思う。

 

気張らずに。地道に。

自分で思う昔の人

最近とても思うことがある。

30代半ばにもなり、自分の親が同じくらいの年頃の時どうだったかと

思いを寄せることがある。想像する。

 

今の自分より、大人だったな、、と単純に思う。

 

何が大人だったのだろう。

 

大人とは何。

 

今の若者達(自分も含めて)と昔の人達、見た目だけの話でもいかに大人だったか。

背筋がピンとしているか。

真っ直ぐ前を、未来を見据えているか。

 

この違いは何だろう。

平和ボケと言われて久しい昨今、何が違うのだろう。

 

考えても思いつかなかった。

20代の若者と話す機会が増え、彼彼女らは自分なりに感じて考えているのは感じるが、何かが足りない。それは何?

 

ある日、そんな疑問を奥さんと話をした。

奥さんより、

はっ!とした内容の話が出来た。

それは、きっと昔の人達は選択に迫られていたんだと言うこと。

今は生きるために食べるために、明日のこともままならい、

そんな状況には幸いにもならない。

昔の人達は、日々生きるのに次の選択までの時間が限られていたのだろう。

100年時代私達の世代も、のほほんと生きていたはダメなのだろうか。

のほほんと生きれる今の日本は平和なんどろうと思う。

 

果たして、のほほんと生きていていいのだろうか。

そんな気持ちを抱えつつ、だからと言って何かきついことをすることがいい事なのだろうか。皆んなが笑っていることが最良?

少なくとも、明日食べていく心配をしなくていいことが良いんだろうか。

 

何が良くて何が悪いのか。

日々の生活で、選択を早い判断で決断する。

その決断は考えて考えて出した答え。であるように。

 

生きるのに必死でいることは、生き物として正しいこと。

だから明日も必死で生きなければ。

 

 

 

やる気スイッチ

あなたのやる気スイッチはどこにありますか?

Where is the motivition switch?

人によって色々とあるのでしょう。

自分のスイッチはどこかな。

そんな事を考えてみました。

 

仕事で考えてみると、ネガティブな時に多かったのです。

焦る時。

怒りがある時。

人間、やばい!となった時がやる気スイッチが入りますね。

また、「怒り」は人間が何かを考える時にとても必要だとは思います。

ただ、その怒りで自分を見失ってしまったり、自分にとって不利な結果になってしまったりします。

冷静でいたいと心がけたいですね。

人間だから感情的になることも必要ですよね…

思いを思うままに

念願のMacBookを買い、何をするでもなくブログを書きたいとまさに今書き始めました。この「今」は今であって、これを読むときは過去になっている。

なんだかまどろっこしいな、自分。

初めてMacBookを買いました。24回ローン。

薄い、かたい、、ん、、えっと、硬い・固い・堅い、どれも同じかな。

起動が早くてびっくり。少し前のパソコンは、起動とシャットダウンに時間がかかったのだけれど、そのストレスも無いに等しい。

MacBook凄い!

MacBookの使い方を見るのも、YouTube。デジタルに囲まれている。

MacBookを買って、高校生のようにはしゃぐ30代です。

いやいや、この気持ち大切にしていきたい、守りたい。

今日の見出しのように、思うままにブログを綴っていこう。