自分で思う昔の人

最近とても思うことがある。

30代半ばにもなり、自分の親が同じくらいの年頃の時どうだったかと

思いを寄せることがある。想像する。

 

今の自分より、大人だったな、、と単純に思う。

 

何が大人だったのだろう。

 

大人とは何。

 

今の若者達(自分も含めて)と昔の人達、見た目だけの話でもいかに大人だったか。

背筋がピンとしているか。

真っ直ぐ前を、未来を見据えているか。

 

この違いは何だろう。

平和ボケと言われて久しい昨今、何が違うのだろう。

 

考えても思いつかなかった。

20代の若者と話す機会が増え、彼彼女らは自分なりに感じて考えているのは感じるが、何かが足りない。それは何?

 

ある日、そんな疑問を奥さんと話をした。

奥さんより、

はっ!とした内容の話が出来た。

それは、きっと昔の人達は選択に迫られていたんだと言うこと。

今は生きるために食べるために、明日のこともままならい、

そんな状況には幸いにもならない。

昔の人達は、日々生きるのに次の選択までの時間が限られていたのだろう。

100年時代私達の世代も、のほほんと生きていたはダメなのだろうか。

のほほんと生きれる今の日本は平和なんどろうと思う。

 

果たして、のほほんと生きていていいのだろうか。

そんな気持ちを抱えつつ、だからと言って何かきついことをすることがいい事なのだろうか。皆んなが笑っていることが最良?

少なくとも、明日食べていく心配をしなくていいことが良いんだろうか。

 

何が良くて何が悪いのか。

日々の生活で、選択を早い判断で決断する。

その決断は考えて考えて出した答え。であるように。

 

生きるのに必死でいることは、生き物として正しいこと。

だから明日も必死で生きなければ。